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インドの言葉(サンスクリット語)でタターガタといい、真理をさとった人という意味です。真理(如)に到達して、人々を救うためにこの世に立ってき(来)た人という意味です。これは菩薩などがまだ多少の修行を残しているのに対し、如来は完全にさとりをひらいたという意味では、菩薩よりも位が高いといえるでしょう。如来が菩薩を従えることはあっても、菩薩が如来を従えることはありません。
もともと「仏」という言語は、完全にさとりをひらいたお釈迦さまを仏陀(さとったひと)と言い、それを略して仏といいます。つまりさとったひとが仏であるので、我々が仏と呼べるのは如来だけなのです。
インドの言葉(サンスクリット語)でははマハーヴァイローチャナといい、マハーは大きいという意味で、ヴァイローチャナは輝くとか照らすとかいう意味で、意訳して大日如来になります。大日如来は宇宙そのものを神格化した仏さまです。宇宙には我々の想像のつかないほど、無限の大きさであり、神秘的なものです。大日如来の中にはその宇宙の森羅万象がすべて包み込まれていると考えられます。
仏教はもともと釈迦がさとりをひらいたことによって成立したのですが、時代が進むにつれ釈迦の存在は神格化され、どんどん偉大なものになっていったのです。そしてその頂点が大日如来といわれます。
この大日如来は密教の中心的存在であり、ありとあらゆる仏さまはすべて大日如来の化身であるとされています。
ご真言 オン・アビラウンケン・バザラダドバン
私たちが「お釈迦さま」などの愛称でよんでいますが、正しくは釈迦牟尼世尊といい、釈迦族出身の聖者を意味します。釈尊はその異名です。いまはゴーダマ・ブッダ(さとりをひらいた者)と呼ぶことが多いです。
仏教の開祖であり、慈悲と智恵をかねそろえて人々を救済する仏さまです。
釈迦如来は脇侍として文殊菩薩と普賢菩薩をつかえており、この三体がそなわると釈迦三尊とよばれます。
釈迦は生まれてすぐに七歩あるき、「天上天下唯我独尊」といわれました。すべての世界で私にまさるものはないという意味です。この様子をあらわしたものが誕生仏で4月8日に花祭りを行いますがこれは釈迦の誕生のお祝いです。
ご真言 ノウマクサーマンダ・ボダナン・バク
阿弥陀如来は無量寿如来などともよばれ、インドの言葉でアミターユス(無量寿如来)といいます。このアミタという語を音写して阿弥陀となったのです。無量寿とは無限の寿命をもった仏という意味です。
阿弥陀如来は西方の極楽浄土にすんでおり、無限の仏の光明で人々を永久に救ってくださるのです。たとえ極悪非道の人間でも阿弥陀如来を心から礼拝すれば極楽浄土にいけるといわれています。
ご真言 オン・アミリタ・テイゼイカラウン
薬師如来も私たちがなじみの深い仏さまです。阿弥陀如来は私たちを極楽浄土へ導いてくれますが、それは死後のことで、生きているあいだは浄土に導かれるのをひたすら祈るしかありません。これに対して薬師如来はわれわれが生きているあいだに救いの手を差し伸べてくれる仏さまです。つまり現世利益の仏さまなのです。
薬師とはもともと医者のことで、最大の御利益は病気をなおしてくれることです。その為、薬師如来の手には薬壷をもっています。
ご真言 オン・コロコロ・センダリマトウギ・ソワカ
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